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【乳がん入院生活】左胸全摘後、情報の海に溺れたわたしを救ったのは半沢直樹だった

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画像生成:Gemini この記事は、当時インスタグラムに書いていた乳がんの話を、ブログ用にリライトしたものです。 自分の記録として、そして、誰かの役に立てばうれしいなと思って書いています。 術後の違和感と、消えない「脇のタオル」 左胸の全摘と14個の腋窩リンパ節郭清をした。 手術が無事に終わって驚いたのは、左胸を全摘したはずなのに、不思議なほど痛みがなかったこと。 腕もぐるぐると動かせるし、自分の体は案外タフなんだなって感心していた。 ▼手術当日の記事はこちら 【手術レポ】左胸全摘とセンチネルリンパ節生検、14個の郭清のこと けれど、どうしても拭えない違和感があった。 それは、脇の下にずっと「丸めたタオル」を挟んでいるような、なんとも言えない異物感。 「これが一生続いたらどうしよう……」と、ふとした瞬間にどんよりした気持ちが顔を出す。 先生に相談したら「しばらくすれば違和感は取れるよ」とあっさり言われ、実際その通りになった。 けれど、当時のわたしにとってその不自由な感覚は、単なる肉体の違和感を超えて、これまで積み上げてきた当たり前の日常を音を立てて壊していくのではないかと、怖くてしょうがなかった。 リンパ浮腫という、目に見えない恐怖 それから14個の脇の下リンパ節を取り除く「郭清(かくせい)」をしたことで、避けて通れないのが『リンパ浮腫』のリスク。 リンパ浮腫とは、手術でリンパの通り道が途絶えたことで、腕に水分が溜まってパンパンに腫れてしまう後遺症のこと。 一度発症すると完治が難しく、一生付き合っていかなければならないという重い現実がそこにはある。 発症を予防するために看護師さんからリンパドレナージ(マッサージ)の指導を受けたけれど、調べれば調べるほど、その怖さに足がすくんでしまった。 日常の何気ない動作――例えば重い荷物を持つことや、虫刺され、日焼けですら引き金になることがあるという。 わたしの左腕は、もう以前のようには自由でいられないのかもしれない。 そんな絶望が、じわじわと胸を締め付けた。 そうして「自由を奪われる」という恐怖が、皮肉にもわたしの心のトリガーになった。 今まで卵子凍結(妊孕性温存)のことばかり必死に考えていたけれど、ここへ来て急に「わたし、本当に乳がんなんだ」という現実が、冷たい波のように押し寄せてきたのだ。 ▼合わせて読みたい 乳がん治療と未...

2週間の入院。病院の冊子には載っていなかった必需品のこと

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画像生成:Gemini ※この記事には広告(アフィリエイトリンク)が含まれています。 乳がんの手術で2週間入院したわたしが、実際に使って心から便利だとしたグッズを7つ紹介。 病院の冊子には載っていない、術後の不自由さを救ってくれたユニクロのインナーや 100均のアイデア商品など、リアルな持ち物備忘録。 不安を「準備」で埋めていた、あの時のわたし 今振り返ってみると、乳がんだと告げられて、相当ショックだったはず。 なのに当時のわたしは、何かに取り憑かれたように「入院に必要なもの」や「便利なグッズ」をせっせと調べていた。 それはきっと、自分のこれからの生活がどうなってしまうのかわからない不安を、準備を整えることで必死に埋めようとしていたんだと思う。 病院のしおりには載っていない、2週間のリアルな必需品 基本的な持ち物は病院の冊子を見ればいいけれど、実際に2週間入院して「これがあって本当に助かった!」と思ったプラスアルファのアイテムを、わたしの経験から書き残しておきたい。 ①100均のワンプッシュペットボトルキャップ 入院前にインスタで情報収集をしていた時、「術後は腕が上がりにくいし、ペットボトルのキャップをひねる動作すら大変」という投稿を見かけた。 「マジで? それは困る……」 そう思って、すぐに買いに走ったけれど、これがもう大正解だった   わたし の場合、術後の痛みは全然なかった。 だけど、わきの下にずっと筒状に丸めたタオルを挟んでいるような、独特な違和感あって。 腕を動かすこと自体が、とにかく億劫でたまらなかった。 そんな時、ひねる動作をしなくていいのは本当に助かった。 これがあれば指一本で、ペットボトルのキャップをポンッと開けられる。 こんな便利なものが100円均一で買えるなんて、良い時代だ。 これから入院する人に「とりあえず買って!」と伝えたい。 ②前開きの下着(ユニクロ) 検査や診察のたびに、服を脱いだり着たりするのは、意外なほど体力を削られる。 だから前開きの下着は、絶対に必要だった。 病院の売店にも置いてあったのだけれど、なんだか「いかにも医療用」なデザインで、値段もそれなりにした。 どうしようか迷っていたとき、看護師さんが「ユニクロからも前開きのインナーが出たんだよ」と教えてくれた。 乳がん患者や介護が必要な人のために開発されたらしい。ユニクロ...

【手術レポ】左胸全摘とセンチネルリンパ節生検、14個の郭清のこと

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画像生成:Gemini この記事は、当時インスタグラムに書いていた乳がんの話を、ブログ用にまとめ直したものです。 自分の記録として、そして、誰かの役に立てばうれしいなと思って書いています。 手術当日のハイライト:人生最大の注射 手術当日の朝、9時から準備が始まった。 今回の手術の大きな目的は二つ。 一つは左胸を全摘すること。 もう一つは「センチネルリンパ節生検」という検査。 乳がんには、乳房からリンパ管を通って流れていく性質がある。 その流れの約9割は、脇にある「腋窩(えきか)リンパ節」に向かうらしい。 だから乳がんの手術では、まず脇を重点的に見ることになる。 その流れの一番最初の関所が「センチネルリンパ節」だ。 センチネルとは「見張り・門番」という意味。 もしそこが無事なら、その先のリンパ節も無事である可能性が高い。 無駄にリンパ節を全部取らなくて済む人を見分け、術後のしびれやむくみ(リンパ浮腫)のリスクを減らすための、とても大切な検査なのだ。 その見張り役の場所を特定するために、まずはお胸にRI(ラジオアイソトープ)という液体を注入する。 看護師さんに「痛いよ」と言われていたけれど、全然平気だった。 「あ、なんか入ってるな」という違和感があるくらい。 自分は痛みに強い体質なのかもしれない、なんて少し得意げな気分になった。 けれど、その直後に悲劇が起きた。 手術中に麻酔や薬を流し続けるための「点滴ルート」の確保。 この注射が、信じられないくらい痛かったのだ。 一回ミスされて、二回目もグリグリと。 人生で一番痛い注射に、あまりの衝撃で泣きそうになった。 「調子に乗るんじゃないよ」と誰かに嗜められたような気がして、一瞬で謙虚な気持ちになった。 手術室へドナドナ。そして最後の痛み 時間が来て、車椅子に乗せられた。手術室へドナドナされていくわたし。 もっと緊張でガチガチになるかと思っていたけれど、不思議と心は落ち着いていた。 友人や同僚から次々に届く「緊張する」「ドキドキしちゃう」というLINEを見ているうちに、なんだか可笑しくなってしまったのだ。 「みんな、わたし以上にあわあわしてるな」と心の中でツッコミを入れながら、どこか遠くから自分を見つめるような、そんな客観的な視点が生まれていた。 みんなの動揺が、逆にわたしを静かな場所へ連れて行ってくれたのかもしれない。 手術室...

【実体験】乳がんで後悔した保険選び。20代の自分に伝えたかったこと

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画像生成:Gemini 社会に出たばかりの頃、母に「医療保険だけは入っておいたほうがいいよ」と言われて、月3,000円の掛け捨て保険に入った。 正直、そのときは内容をちゃんと理解していたかと言われると怪しい。 「入院したらいくら出る、手術したら給付金が出る」 それくらいの認識だったと思う。 「若いうちは使わないだろうし」 「とりあえず入っておけば安心かな」。 そんな、どこか他人事のような気持ち。 自分が病気になる未来なんて、当時の私には1ミリも想像できなかった。 それから何年も経って、私は乳がんになった。 ▼乳がん関連記事はこちらにまとめています。 わたしの乳がん備忘録 | 記事まとめ 診断されて初めて向き合った「保険の真実」 診断を受けて、初めて「保険の中身」と真正面から向き合うことになった。 私が入っていたのは、本当に最低限のもの。 手術給付金と、掛け金に応じた日額の入院費用が出るだけのものだった。 けれど、そのときになって調べてみると、世の中にはもっと多様な備えがあることを知った。 がんと診断された瞬間に、どかんとまとまったお金がもらえる「診断一時金」。 手術のあとの化学療法(抗がん剤治療)などを支えてくれる「通院保障特約」。 さらに、私は乳がんになったことで「妊孕性(にんようせい)温存治療」とも向き合わなければならなかった。 抗がん剤治療の影響で、妊孕性——つまり「妊娠するための力」を失う可能性があったのだ。 手術の前に卵子凍結を行い、何年後かに凍結した卵子を用いての不妊治療も行った。 ▼あわせて読みたい 治療と未来のために——妊孕性温存を決意 こうした現実に直面して初めて、以下のような選択肢が存在することに気づいた。 女性特有の病気に対して、給付金が手厚くなる医療保険があること。 不妊治療のための入院・手術費用も「保障対象」になる場合があること。 「あのとき、もっとちゃんと調べておけば」 あの日、「安さ」と引き換えに手放してしまった保障の大きさを、治療費の領収書を眺めながら痛いほど実感した。 もう少しだけ深く考えて選んでいれば、経済的にも、そして何より気持ちの余裕が違ったかもしれない。 そんな後悔が、静かに胸に広がった。 選択肢は「保険」だけじゃないけれど もちろん、保険がすべてだとは思わない。 保険料を払う代わりに、貯金をしておく、あるいは資産運用をして...

【乳がん手術前日】想定外のマーキングで下着に悲劇?主治医が描いた「ひよこの曲線」の秘密

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画像生成:Gemini この記事は、当時インスタグラムに書いていた乳がんの話を、ブログ用にリライトしたものです。 自分の記録として、そして、誰かの役に立てばうれしいなと思って書いています。 わたしの胸に「ひよこ」が宿った日 あれはもう、数年前のこと。  乳がんの手術を明日に控えて、わたしは病院のベッドにいた。 入院初日は、とにかく忙しい。 まずは入院手続きの窓口で書類を出し、そこからようやく病棟へ。 息つく暇もなくPCR検査を受け、看護師さんから「看護計画」の詳しい説明を受けたりして、頭の中は常に何かを処理しているような状態だった。 そんな嵐のような時間がひと段落した頃、ようやく主治医がやってきた。 「それじゃあ、マーキングするね」 さらりと言われたけれど、わたしは少し戸惑った。 え、マーキング? そんなことするなんて、聞いてない。 有無を言わさず、全摘する左胸にペンでガイドラインが描かれていく。 部屋には主治医のほかに、彼が指導しているらしい若い男性医師もいて、どこか授業のような、独特の緊張感が漂っていた。 主治医は50代オーバーの、いわゆる「ベテランのおじさん」だ。 その先生が、若い医師に切り方の説明をしながら、さらさらと迷いなくペンを動かす。 「ここはね、まっすぐ切るんじゃなくて、ヒヨコちゃんみたいに~」 そう言いながら、ひよこの背中のような、柔らかな曲線を描いていく。 ひ、ヒヨコちゃん……!? 重苦しいはずの診察室で、その言葉だけがぽんっと浮いて、キラキラして見えた。 「マーキングなんて聞いてないよ」という動揺も、先生のその一言でふにゃりと溶けてしまった。 これから描くメスのラインを指して、先生は「ひよこちゃん」なんて言っている。 そのギャップに、わたしは思わずニヤけてしまった。 今思い出しても、あれはあの時期に出会った中で、最高に強烈なパワーワードだった。 白いインナーと、ひよこの代償 そういえばこの記事を書いていて思い出したのだが、「ひよこちゃん」には、ちょっとした代償があった。 聞いていなかったマーキング。 当然、対策なんてしていない。 わたしは何も知らずにお気に入りの白いインナーを着ていってしまい、結果、びっくりするくらい汚してしまった。 もし、これから手術に向かう人がこの記事を読んでくれているなら、これだけは伝えたい。 マーキングの日は、「...

【乳がん全摘】手編みの乳パッド「ちあぱい♪」を編んでみてわかった、母と姉の無言の激励

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画像生成:Gemini この記事は、当時インスタグラムに書いていた乳がんの話を、ブログ用にリライトしたものです。 自分の記録として、そして、誰かの役に立てばうれしいなと思って書いています。 乳がん関連記事はこちらにまとめています。 わたしの乳がん備忘録 | 記事まとめ 乳がん全摘手術を前に感じた不安 リビングのソファでだらだらと過ごしていたあの日。 数日後に左胸の全摘手術を控え、わたしの心は、どこか遠い場所に置き去りにされたような、現実味のない不安の中にいた。 それまでは、妊孕性(にんようせい)温存のための卵子凍結のことで頭がいっぱいだった。 未来の自分のために今できることを、必死に、ただひたすらにこなしてきた。 ▼妊孕性温存に関する記事はこちら 治療と未来のために——妊孕性温存を決意 けれど、いよいよ手術の日が近づいてきて、急に、本当に急に、どろりとした不安が襲ってきた。 「未来」の心配をしていたときには蓋をできていた、「今、ここにある自分の一部がなくなる」という重い事実。 それは、飲み込もうとすればするほど、喉の奥に冷たくつっかえていた。 そんな重苦しい気持ちを抱えているわたしのところに、2階から階段を降りてきた母が、見たこともないような興奮状態でやってきた。 その手に握られていたのは、編みたてほやほやの「手編みの乳パッド」だった。 手編みの乳パッドって? 「乳パッド」というのは、手術で胸を摘出した後にブラジャーの中に入れて使う、おっぱいの形をした「編みぐるみ」のようなもの。 シリコン製などのしっかりした重みのあるものもあるけれど、手編みのパッドはとにかく軽くて柔らかい。 わたしは術後の体が少しずつ落ち着いてきた頃から、ブラジャーの下にそっと忍ばせるのに使っている。 (たまに忘れることもあるけれど) 夏場はシリコン、冷えが気になる冬場は手編み、季節で使い分けているけれど、毛糸のじんわりとした温かさは冬の毎日にちょうどいい。 母が作ってくれた手編みの乳パッド 左胸がなくなることが決まってから、わたしはその後の生活のことを必死に調べていた。 その中でたどり着いたのが、手編みの乳パッドの存在だった。 実は、全摘手術と同時に胸を再建する方法もあった。 けれど、わたしはそれを選ばなかった。 手術を終えた後、すぐに卵子凍結のステップへ進みたかったから。 未来の可能性に賭ける...

乳がんって言ったこと後悔してる|職場復帰後の「空気感」とわたしの選択

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画像生成:Gemini ※この記事は、乳がんという病気に対して、わたしが「周囲に伝えるべきではなかった」と個人的に後悔している経験を綴ったものです。 決して「絶対に周囲に伝えるべきではない」と一律に主張する意図はありません。 治療の状況や体調によって、周りの理解や配慮が何よりの支えになる場面はたくさんあります。 これはあくまで、ステージ2aで比較的体調が安定していた「わたし」という一個人の、ひとつの苦い経験と選択の記録として受け取っていただければ幸いです。 数年前のインスタグラムに、わたしはこんなことを書いていた。 いよいよ来週手術。明日出社したらしばらくお休みします。 その前に、部署のメンバーに送別会をしてもらいました。 上司がおごってくれたひつまぶし、美味しかった。   会社の人には、乳がんのこと、検査の段階から全て話しています。 包み隠さず伝えることがわたしにとっては自然で、仲のいい人には卵子凍結のことまで話しちゃってる。 なんでも話せちゃうくらい、良い会社なんだ。 まだ休職前なのに、もう復帰したいって思ってる自分がいます。   当時のわたしは、本気でそう思っていた。 乳がんの告知、手術、そして卵子凍結。 次々に襲いかかってくる現実を乗り越えるために、わたしはアドレナリンを全身から放出し、周りに「旗」を振ることで自分を鼓舞していたのだと思う。 「わたしは大丈夫。こんなにオープンに戦っているんだから」と。 でも、今のわたしが当時の自分に会えるなら、肩を強く掴んでこう言いたい。 **「一度冷静になって、打ち明ける相手を選びなさい。直属の上司と、どうしても仕事で負担をかけてしまう数人。それ以外には、絶対に箝口令を敷きなさい」**と。 善意という名の「土足」と、わたしの無作法 職場復帰してしばらく経った頃、あんなに温かくわたしを包んでいたはずの「繋がり」は、 いつの間にかわたしを縛り付ける冷たい鎖に変わっていた。 顔を合わせるたびに、みんなが優しく声をかけてくれる。  「元気?」「無理してない?」 その響きに悪気なんて一滴も混じっていないことは、痛いほどわかっている。 けれど、その響きこそが、当時のわたしには何よりの苦痛だった。 ステージ2aで幸いにも体調への影響が少なかったわたしにとって、みんなのかけてくれる言葉は、「今のわたし」を透明に...

【乳がん】親の心子知らず。卵子凍結や治療をめぐる両親の本音と、さすってくれた手の温かさ

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画像生成:Gemini この記事は、当時インスタグラムに書いていた乳がんの話を、ブログ用にまとめ直したものです。 自分の記録として、そして、誰かの役に立てばうれしいなと思って書いています。 両親とモーニング食べに行ってきた。 久しぶりの休日、親子水入らず。 会話の中でわたしの病気の話題は出ないけれど、2人ともわたしのことをすごく心配してくれている。 今日は、この二人のことを書いてみようと思う。 母の心配そうな顔 先日、PET-CT検査を受けた日のこと。 病院から帰ってソファでうとうとしていたら、母の声に呼ばれて目を覚ました。 ▼PET-CT検査の内容や当日の様子はこちら 【乳がん術前検査】PET-CTの絶食やスマホ禁止が辛い…体験談と自分へのご褒美 目の前には、ものすごく心配そうな顔をした母がいて、思わずドキッとした。 ただ疲れて寝ていただけなのに、体調が悪いのかと思ったらしい。 検査で乳がんと診断されただけで、痛みも苦しさもないのに。 でも、そんなことを知る由もない母は、目覚めたわたしにすり寄って、手をさすさすと撫でてくれた。 強い母、でも心配してくれている 母は、はっきり言って強い人だ。 見た目も筋肉質で、気も強い。 泣いている姿を見たのは、これまでの人生で一度だけ。 テレビの『プロジェクトX』を観ながら大号泣していた時だけだ。 わたしの乳がんが発覚したときも 、普段と変わらず「だいじょぶだいじょーぶ、ガハハハ」 と笑っていた。 それでも、母はやっぱり母なのだ。 言葉にならないほどの心配を抱えながら、わたしの手をさすってくれている。 その手のひらの温かさに、改めて気づかされた。 父のほろ酔いの言葉 父は父で、いい感じにほろ酔いになると、ポツリと言う。  「そうちゃんはお父さんより長生きしないとダメよ」 わたしがあまりにけろっとしているから、父にはわたしが生き急いでいるように見えるらしい。 そんなことはない。 長生きしたいし、子どもも欲しい。 だから卵子凍結だってするんだから。 妊孕性温存よりも治療を そういえば卵子凍結の話で思い出したことがある。 当初、両親はわたしが妊孕性(にんようせい)温存をすることに、難色を示していた。 それよりも、一刻も早く乳がん治療をしてほしい。 それが、わたしたち夫婦の切実な願いだと、診察室で医師...

【乳がん術前検査】PET-CTの絶食やスマホ禁止が辛い…体験談と自分へのご褒美

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画像生成:Gemini 乳がん治療と妊孕性(妊娠する力)温存を両立するため、卵子凍結と転院を決意。 左胸全摘手術を控えた術前検査「PET-CT」の様子をレポートします。 スマホ禁止の長い待ち時間や空腹との戦い、検査後のご褒美まで。 不安のなかで見つけた、信頼できる主治医との出会いや等身大の心境を綴ります。 この記事は、当時インスタグラムに書いていた乳がんの話を、ブログ用にまとめ直したものです。 自分の記録として、そして、誰かの役に立てばうれしいなと思って書いています。 卵子凍結と乳がん治療を両立するために転院 抗がん剤治療をすると、妊孕性(妊娠する力)を失う可能性がある。 そのため、治療前に卵子凍結をすることに決めた。 ▼これまでの経緯はこちら 治療と未来のために——妊孕性温存を決意 「がんを治すこと」だけじゃなく、その先の自分の人生もあきらめない。 そんなわがままかもしれない願いを、主治医はしっかりと受け止めてくれた。 ただ、今までの病院には産婦人科がなかった。 それに、妊孕性温存治療を行える医療機関も限られているため、転院することになった。 転院先の病院で、わたしはこれから妊孕性温存のための卵子凍結と、乳がんの手術・治療を両立することになる。 転院先の主治医は、前の主治医の師匠だった。 経験豊富で説明もすごくわかりやすいけれど、何より、私にそっと寄り添ってくれる、とても親しみやすい先生だ。 私の疑問を一つひとつ丁寧に、同じ目線で解きほぐしてくれる。 「大丈夫、一緒に考えていきましょう」 その言葉に、どれだけ救われただろう。 乳がんという大きな病気を前にして、不安を感じていた私の隣に、力強い味方が立ってくれたような、 そんな心強さ。 結果的に、良い先生に巡り会えて良かったと思う。 左胸全摘手術の前の全身検査--PET-CT 新しい主治医との診察の中で、卵子凍結を行う前に、まずは手術で左胸を全摘して、乳がんの病巣を取り除くことになった。 今日は、その術前の全身検査を受けてきた。 PET-CTというもので、全身の細胞の活動状況を調べるらしい。 「もし、他にも何か見つかったら……」 そんな不安が、検査着に着替えるときにふと頭をよぎる。 まれに、別の病気が見つかることもあるという。 怖いけど、しっかり調べてもらわないと。 自分の身体の...

乳がん告知後、彼の両親へ挨拶に行った日

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画像生成:Gemini 乳がん治療を最優先にしながら、彼の両親へ挨拶に行った日の備忘録です。 「健康なパートナーの方がいいのでは」という葛藤を抱えながら向かった当日。 特別な言葉はなくとも、ただそこにいていいと感じられた、忘れられない一日を綴ります。 この記事は、当時インスタグラムに書いていた乳がんの話を、ブログ用にまとめ直したものです。 自分の記録として、そして、誰かの役に立てばうれしいなと思って書いています。 結婚の報告ではなく、今の私たちを伝える挨拶 彼の両親に、挨拶に行ってきた。 挨拶といっても、結婚の挨拶ではなくて、「お付き合いしています」という、ごく静かな報告のようなもの。 いずれは結婚を、と思ってはいるけれど、今はまだ、その話をする段階ではない。 ひとまず、わたしの治療が最優先だ。 わたしが乳がんであることは、彼の両親も、すでに知っていた。 そのことを知った上で、わたしと会うことを受け入れてくれた。 その事実だけで、胸の奥がじんとした。 拭いきれなかった「申し訳なさ」と葛藤 乳がんと告知されてから、彼と付き合い続けていく中で、彼の両親のことは、いつも心のどこかにあった。 普通に考えれば、自分の子どものパートナーは、健康な人のほうがいいのではないか。 そんなふうに考えてしまう自分を、止めることができなかった。 もし自分が同じ立場だったら、どう思うだろう。 そんなことを、何度も考えた。 だから、何を着ていこうかよりも先に、何を言えばいいのか、どういう顔をすればいいのかばかり考えていた。 忘れられない、あたたかな一日 当日は、自分でも驚くほど、緊張していた。 でも、実際に会ったご両親は、とても穏やかで、あたたかかった。 特別な言葉があったわけではない。 ただ、そこにいていい、そう言われているような気がした。 あの日は、わたしにとって、忘れられない一日になった。 嬉しかったし、ありがたかったし、そして、とても、とても緊張した一日だった。 ※このブログの内容は個人の体験に基づく記録であり、医学的な診断や治療を推奨するものではありません。 乳がん関連記事はこちらにまとめています。 わたしの乳がん備忘録 | 記事まとめ

わたしの乳がん備忘録 | 記事まとめ

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画像生成:Gemini わたし自身の乳がん体験を、少しずつ書き残している「備忘録」のまとめです。 告知を受けたあのとき、わたしは暗闇の中で、自分と同じような痛みや迷いを通ってきた誰かの言葉を、必死に、お守りのように探していました。 ここにある記録が、いま同じ場所で立ち止まっている誰かにとって、「少し先を歩く、誰かの体温」として届くことを願っています。 ▼これまでの記録 付き合って1週間で乳がん告知。彼に別れを切り出した夜と、救われた言葉 └ 何気ない違和感から検査に進むまでの記録 - 治療と未来のために——妊孕性温存を決意 └ 治療前に妊孕性温存を選んだ理由と迷い - 乳がん告知後、彼の両親へ挨拶に行った日 └ 彼の両親へ挨拶に行った日の出来事と、そのとき抱えていた気持ち - 【乳がん術前検査】PET-CTの絶食やスマホ禁止が辛い…体験談と自分へのご褒美 └孤独な待ち時間や空腹を乗り越えて受けた「PET-CT」検査の等身大レポート - 【乳がん】親の心子知らず。卵子凍結や治療をめぐる両親の本音と、さすってくれた手の温かさ └ふとした瞬間に垣間見えた両親の切実な思い - 乳がんって言ったこと後悔してる|職場復帰後の「空気感」とわたしの選択 └「元気?」が苦痛。わたしが選んだ言わない自由 - 【乳がん全摘】手編みの乳パッド「ちあぱい♪」を編んでみてわかった、母と姉の無言の激励 └左胸を失う不安を溶かした、手編みの温もり - 【実体験】乳がんで後悔した保険選び。20代の自分に伝えたかったこと └乳がんを経験して気づいた保険との向き合い方 - 【手術レポ】左胸全摘とセンチネルリンパ節生検、14個の郭清のこと └左胸を失う日。4時間の手術と「南の島」の不思議な記憶 -  2週間の入院。病院の冊子には載っていなかった必需品のこと └不安を準備で埋めたあの日。術後の不自由を救ってくれた7つのリアルな持ち物 - 【乳がん入院生活】左胸全摘後、情報の海に溺れたわたしを救ったのは半沢直樹だった └ リンパ浮腫の恐怖に一人で押し潰されそうだった夜、まさかのドラマが灯してくれた小さな火 乳がんを経験し、治療を経て今、わたしがどんなふうに毎日を過ごしているかについては、こちらに書いています。 ▶︎ 自己紹介 もしよかったら、今のわたしの暮らしも覗きにきてください。 【ご一読ください】...

乳がん治療と未来のために——妊孕性温存を決意

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画像生成:Gemini 乳がんステージ2Aと診断され、全摘手術と抗がん剤治療を前に、「将来、子供を授かる可能性」をどう残すか。 悩んだ末に私が決断した、「卵子凍結(妊孕性温存)」の全記録です。 この記事は、当時インスタグラムに書いていた乳がんの話を、ブログ用にまとめ直したものです。 自分の記録として、そして、誰かの役に立てばうれしいなと思って書いています。 乳がん治療のリスクー妊孕性を失うかもしれないということ 左胸にできた小さなしこりと、ぴりつくような痛みを覚え、病院にかかった。 精密検査の結果、 乳がん ステージ2A/ルミナールHER2 といわれた。 そこから決まった治療が、 左胸の全摘出 4〜6ヶ月の抗がん剤治療 5〜10年のホルモン療法 (女性ホルモンを抑える薬を毎日服用) 治療の説明を受ける中で、抗がん剤は卵巣にダメージを与えるため、年齢的に閉経のリスクがあると言われた。 仮に閉経しなかったとしても、ホルモン療法の期間中は胎児奇形のリスクがあるため、避妊が必須とのこと。 治療がすべて終わる頃には、40歳を超えている。 今はパートナーはいるけれど未婚で、子どもはいない。 でもいつかは子どもを…となんとなく思っていたから、子どもが望めないかもしれないという現実がショックだった。 そんなわたしに先生が提案してくれたのが、生殖補助医療による妊孕性温存し、治療後に子どもを諦めない可能性を残すというもの。 妊孕性(妊娠する力)を温存する方法 妊孕性=妊娠する力を温存するための生殖補助医療は、次の3つの方法がある。 卵子凍結 受精卵凍結 卵巣組織凍結 未婚のわたしは、卵子凍結か卵巣組織凍結ができるとのことで、短い期間の中でどちらを選択をするかすごく悩んだ。 悩んで、調べて、そして決断したこと 妊孕性について調べれば調べるほど、現実的なこと—— お金、時間、手間、リスク——が次々に出てきた。 たとえば生殖補助医療は保険適用外で、自治体の助成金がある場合もあるけれど、基本は自己負担だ。 それでもわたしは、悩みに悩んで卵子凍結をすることに決めた。 「未来の可能性を少しでも残したい」と思ったから。 乳がんになって初めて知った言葉、妊孕性。 そのほかにも、毎日のように“初めて知ること”が増えている。 わたしの世界がすこしずつ、変わっていっている。 ...

付き合って1週間で乳がん告知。彼に別れを切り出した夜と、救われた言葉

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画像生成:Gemini 2020年夏、乳がんの告知を受けた。 付き合って間もない彼への葛藤、支えられた言葉。 インスタグラムに綴っていた当時の記録を、ブログとしてまとめ直しました。 新しい恋が始まって1週間で発覚した乳がん 2020年夏。わたしの止まっていた時間が、ようやく動き出したはずだった。 離婚してから3年。 「もう一度、誰かと幸せになってもいいのかな」 そう思える人に出会った途端のことだった。 バツイチ同士、不器用ながらも「これから二人で歩んでいこう」と笑い合った。 けれど、付き合ってわずか1週間。 わたしの左胸に、乳がんという冷たい現実が影を落とした。 「結果が出るまで、黙っていようか」 病院での精密検査が進む中、最初は「ステージ1」の可能性があると言われていた。 けれど、検査を重ねるほどに不安は募る。 現時点でわかっていたのは、わたしのがんは手術、抗がん剤、ホルモン治療が必要なタイプだということ。 髪が抜け、体にメスが入る。 その恐怖と同じくらい、始まったばかりの彼との関係を失うのが怖かった。 「彼にいつ伝えようか」 信頼している友人に相談すると、こんな言葉が返ってきた。 「まだ確定じゃないんでしょ? 結果が出てから伝えても遅くないんじゃないかな」 確かに、と思った。 せっかく手に入れた3年ぶりの幸せ。 わざわざ壊すようなことをしなくても、という配慮。 けれど、わたしの心にはどうしても拭えない違和感があった。 隠したままの笑顔は、わたしには選べなかった 以前の結婚と離婚。 その経験を経て、わたしは「もう二度と、自分に嘘をついて生きていかない」と心に固く決めていた。 それは恋愛においても同じだった。 離婚してから、ありがたいことに何人かの男性との出会いもあったけれど、その中でも彼は、わたしにとってあまりに特別だった。 心から大切にしたいと思った相手だからこそ、これから始まる過酷な日々を隠したまま、上辺だけの楽しい時間を積み重ねるなんて、わたしにはできなかった。 夜の電話と、震える声 その日の夜、迷いを断ち切るように彼に電話をかけた。 「乳がんかもしれない。フェードアウトしても、恨まないよ。別れてもいいから」 突き放すような言葉。 けれど、受話器の向こうから聞こえてきたのは、拍子抜けするほど穏やかな声だった。 「別れないよ」 そ...