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| 画像生成:Gemini |
この記事は、当時インスタグラムに書いていた乳がんの話を、ブログ用にリライトしたものです。
自分の記録として、そして、誰かの役に立てばうれしいなと思って書いています。
わたしの胸に「ひよこ」が宿った日
あれはもう、数年前のこと。
乳がんの手術を明日に控えて、わたしは病院のベッドにいた。
入院初日は、とにかく忙しい。
まずは入院手続きの窓口で書類を出し、そこからようやく病棟へ。
息つく暇もなくPCR検査を受け、看護師さんから「看護計画」の詳しい説明を受けたりして、頭の中は常に何かを処理しているような状態だった。
そんな嵐のような時間がひと段落した頃、ようやく主治医がやってきた。
「それじゃあ、マーキングするね」
さらりと言われたけれど、わたしは少し戸惑った。
え、マーキング?
そんなことするなんて、聞いてない。
有無を言わさず、全摘する左胸にペンでガイドラインが描かれていく。
部屋には主治医のほかに、彼が指導しているらしい若い男性医師もいて、どこか授業のような、独特の緊張感が漂っていた。
主治医は50代オーバーの、いわゆる「ベテランのおじさん」だ。
その先生が、若い医師に切り方の説明をしながら、さらさらと迷いなくペンを動かす。
「ここはね、まっすぐ切るんじゃなくて、ヒヨコちゃんみたいに~」
そう言いながら、ひよこの背中のような、柔らかな曲線を描いていく。
ひ、ヒヨコちゃん……!?
重苦しいはずの診察室で、その言葉だけがぽんっと浮いて、キラキラして見えた。
「マーキングなんて聞いてないよ」という動揺も、先生のその一言でふにゃりと溶けてしまった。
これから描くメスのラインを指して、先生は「ひよこちゃん」なんて言っている。
そのギャップに、わたしは思わずニヤけてしまった。
今思い出しても、あれはあの時期に出会った中で、最高に強烈なパワーワードだった。
白いインナーと、ひよこの代償
そういえばこの記事を書いていて思い出したのだが、「ひよこちゃん」には、ちょっとした代償があった。
聞いていなかったマーキング。
当然、対策なんてしていない。
わたしは何も知らずにお気に入りの白いインナーを着ていってしまい、結果、びっくりするくらい汚してしまった。
もし、これから手術に向かう人がこの記事を読んでくれているなら、これだけは伝えたい。
マーキングの日は、「もう捨ててもいい」と思えるような、役目を終えそうな下着で挑むことを、心からおすすめする。
白いインナーに滲んだインクの色は、あの日、わたしが病気と向き合おうとした勲章みたいなものだけど、やっぱりお気に入りが汚れるのは切ないから。
守られていたんだ、という実感
あとから知ったことだけれど、あの「ひよこちゃん」の曲線には深い意味があった。
形成外科の先生とあらかじめ打ち合わせをして、将来、胸を再建しやすくするために、
一番いい形を追求してくれた結果の「ひよこ」だったのだ。
「ああ、いろんな人が、わたしのこれからのために動いてくれているんだな」
そう気づいた瞬間、鼻の奥がツンとした。
乳がんになって失うものばかりに目を向けていたけれど、実はそれ以上に、たくさんの温かなプロ意識とやさしさに守られていたんだと、今振り返っても胸が熱くなる。
さよならの前の、愛おしい時間
そんな温かな気持ちのまま、病室でひとりになった夜。
わたしは自分の胸の写真を撮った。
明日にはなくなってしまう、左側の胸。
「もっと大きければいいのに」
「もっと形が良ければいいのに」
ずっとそう思ってきた。
コンプレックスの塊で、自分の体なのにどこか不満ばかり持っていた。
けれど、レンズ越しに見つめてみると、意外なほど、なかなか綺麗な形をしているんだな、なんて思った。
入院する直前、今の夫である当時の彼に会ったときのことも思い出した。
彼はわたしの左胸にそっと顔を寄せて、まるで長年連れ添った戦友に語りかけるみたいに、大真面目に感謝と別れの挨拶をしていた。
「いままでありがとう」とでも言うその姿があまりに真剣で、わたしは感動を通り越して「ブフォッ」と吹き出してしまった。
悲しいはずの場面なのに、どこかおかしくて、温かい。
そんな風にして、わたしの胸はみんなに見守られて、卒業の日を待っていた。
※このブログの内容は個人の体験に基づく記録であり、医学的な診断や治療を推奨するものではありません。
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