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| 画像生成:Gemini |
この記事は、当時インスタグラムに書いていた乳がんの話を、ブログ用にリライトしたものです。
自分の記録として、そして、誰かの役に立てばうれしいなと思って書いています。
乳がん関連記事はこちらにまとめています。
わたしの乳がん備忘録 | 記事まとめ
乳がん全摘手術を前に感じた不安
リビングのソファでだらだらと過ごしていたあの日。
数日後に左胸の全摘手術を控え、わたしの心は、どこか遠い場所に置き去りにされたような、現実味のない不安の中にいた。
それまでは、妊孕性(にんようせい)温存のための卵子凍結のことで頭がいっぱいだった。
未来の自分のために今できることを、必死に、ただひたすらにこなしてきた。
▼妊孕性温存に関する記事はこちら
治療と未来のために——妊孕性温存を決意
けれど、いよいよ手術の日が近づいてきて、急に、本当に急に、どろりとした不安が襲ってきた。
「未来」の心配をしていたときには蓋をできていた、「今、ここにある自分の一部がなくなる」という重い事実。
それは、飲み込もうとすればするほど、喉の奥に冷たくつっかえていた。
そんな重苦しい気持ちを抱えているわたしのところに、2階から階段を降りてきた母が、見たこともないような興奮状態でやってきた。
その手に握られていたのは、編みたてほやほやの「手編みの乳パッド」だった。
手編みの乳パッドって?
「乳パッド」というのは、手術で胸を摘出した後にブラジャーの中に入れて使う、おっぱいの形をした「編みぐるみ」のようなもの。
シリコン製などのしっかりした重みのあるものもあるけれど、手編みのパッドはとにかく軽くて柔らかい。
わたしは術後の体が少しずつ落ち着いてきた頃から、ブラジャーの下にそっと忍ばせるのに使っている。
(たまに忘れることもあるけれど)
夏場はシリコン、冷えが気になる冬場は手編み、季節で使い分けているけれど、毛糸のじんわりとした温かさは冬の毎日にちょうどいい。
母が作ってくれた手編みの乳パッド
左胸がなくなることが決まってから、わたしはその後の生活のことを必死に調べていた。
その中でたどり着いたのが、手編みの乳パッドの存在だった。
実は、全摘手術と同時に胸を再建する方法もあった。
けれど、わたしはそれを選ばなかった。
手術を終えた後、すぐに卵子凍結のステップへ進みたかったから。
未来の可能性に賭けるための、自分なりの選択だった。
そうして「左胸のない生活」を具体的にイメージする中で見つけたのが、かぎ針で編む柔らかな乳パッド。
不器用なわたしは、ハンドメイドが趣味の母に「これ、編めたりするかな」と軽く聞いてみた。
そこから母の試行錯誤が始まった。
ネットで見つけた編み図は、母いわく「めちゃくちゃ難解」だったらしく、連日YouTubeを食い入るように見て研究していた。
必死に針を動かす母の背中には、子を思う母なりの愛が静かに漂っていて、見ていて胸が熱くなった。
そしてついに完成した試作品。
それを見た瞬間、それまでの重たい空気が嘘だったみたいに、わたしはお腹の底から笑った。
「いやいや、デカすぎるって!」
母も自分の力作を前に、「とんでもないブツを作っちまったよ」とガハハと笑っていた。
その手に握られていたのは、どう見てもわたしの胸の倍はある巨大な乳パッドだった。
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| でかっ! |
母は「加減が難しいわ」と豪快に言い残し、また意気揚々と作業場へ戻っていった。
その背中が、なんだか無性に頼もしくて、最高にかっこよかった。
家族が繋いでくれたバトン
母の奮闘する様子をどこかで聞きつけたのか、あるいは母から相談を受けたのか。
その想いのバトンを受け取るように、実は姉も乳パッドを編んでくれた。
姉は編み物の達人なので、母のような苦労はなかったようだけれど、やっぱり届いたものは……デカかった。
どうやら我が家の人々は、わたしの胸を過大評価しすぎる傾向にあるらしい。
当時はそのサイズ感に笑ってばかりいたけれど、今さら、姉が編んでくれた乳パッドを写真で見返していて、ふと気づいた。
姉が選んだのは「Opal(オパール)」の毛糸だった。
ドイツのメーカーの糸で、編み進めるだけで魔法みたいに複雑な模様が浮き出てくる、世界中にコレクターがいる特別な毛糸だ。
ただ、この糸、結構お高い。
自分用にするには少し勇気がいるような、贅沢な糸なのだ。
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| 入院期間中に完成した姉作乳パッド。 |
姉が使っていたのは、フンデルトヴァッサーシリーズの2107番色。
まるで一編の絵画をそのまま糸にしたような、複雑で、でもどこか生命力を感じる色合い。
そういえば、術後に腕が上がらなくてPC作業がつらいと漏らした時、姉は肘置きクッションを作ってくれたことがあった。
それもやっぱり、この糸だった。
「頑張れ」なんて言葉にするのは照れくさくても、その柔らかな糸の感触に、
姉なりの無言の激励が込められていたのだと、今になって思う。
そんな素敵な糸を惜しみなく使って、わたしのためにせっせと編んでくれたことが、ただただ嬉しかった。
自分で編んでみてわかったこと
あれから月日が流れ、実はわたしも編み物に目覚めた。
今では自分の乳パッドも、当たり前のように編めるようになっている。
今日、ふと思い立って、試しに自分でも乳パッドを編んでみた。
1時間くらいで一つ編み上げることができたけれど、実際に針を動かしてみて、改めて愕然とした。
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| あの頃はまさか自分が編み物できるようになってるなんて思ってもみなかった。 |
知識がない状態でこの立体を仕上げるのは、至難の業だ。
今のわたしにはわかる。
あの時の母がわたしのために費やしてくれた時間は、今のわたしの何倍、何十倍だっただろう。
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| 中綿入れてないけど、とりあえず完成! |
誰かの胸に、やさしさが届くように
もし、自分や大切な家族のために乳パッドを作ってみたいと思う人がいたら、ぜひこのサイトを覗いてみてほしい。
ここは、乳がんを経験した方たちが、少しでも心地よく過ごせるようにと願いを込めて作られた場所。
全国のボランティアさんが一つひとつ手編みしたパッドを届ける活動をされていて、サイトでは初心者でも挑戦できる編み図も公開されている。
ちなみに、手編みだけでなく、肌当たりのいい布で手作りできるものもある。
手編みのふんわりした弾力も、布のしっとりした優しさも、どちらも市販品にはない独特の安心感がある。
左胸を失うことは、たしかに寂しくて、怖いことだった。
けれど、あの日家族が寄ってたかって作ってくれた「デカすぎる胸」は、わたしの欠落を埋めて余りあるほどの温かさを持っていた。
一生忘れられない、わたしの宝物だ。
※このブログの内容は個人の体験に基づく記録であり、医学的な診断や治療を推奨するものではありません。
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